環境問題について

犀ワールド

 環境問題を解決するのには、単に自然環境への破壊を阻止したり、樹を植えて緑を増やしたりと考える人は多くいる。しかし、自然環境への破壊や汚染は環境問題の一部分でしかない。それを解決するには大変長い年月とたくさんの人力や財力が必要なため、それ以上に重要なことを思い浮かべないのも無理はない。だけれど、そういうやり方は問題が出てきて、あるいは深刻になってから対処するだけで、もし事前にそういう事態にならないように務めれば、先に言った〝大変長い年月とたくさんの人力や財力〝を費やさなくて済むはずであろう。もちろん、目前の問題を放置するわけにも行かない。しかし、目前の問題(環境への破壊や汚染)を解決するだけですべての環境問題を解決したことにはならない。そこで、環境問題を解決しようとする人々は環境問題という概念をもっと深く理解し、それの解決にはどんな目的を果たせるについて考えるべきだと思う。環境問題を理解もしないで環境保護などをやっている人達は例え一時的にある程度の成果を得たとしても、ちょっと違う状況下あるいはほかの物事を見る時には起きている事実による科学的な分析よりも、以前の経験から物事を判断する傾向は大いにある。いいことをやろうとして、結局最悪な結果を招いた人達は案外多いかもしれない。


環境問題への認識はまず環境からの認識から始まらなければならない。地球の自然環境に生きる人類の歴史からそれを知ることができる。実際のところ、環境への破壊行為などは古くから始まっていた。生きるために自然環境を利用することは非難しようがない。そして、人類の文明が進歩するにつれて環境への破壊は進む一方である。けれども、産業革命前の地球なら、人類がどう暴れても、地球は自力でなんとか自然環境のバランスを保てる。地球の自然環境への過負荷破壊、あるいは汚染というべき行為は産業革命以来に始まったと良く言われる。それから百数十年経って、ついに地球の大自然の回復能力に超えた時、人類は自然からの報復を受けることによって環境保護意識を目覚めた。
環境問題に関わる人々の中に、勿論自然に対する償いをするつもりの人もいるけれど、環境問題に関心を持つ大多数の人々は自分の生活あるいは生存できる環境が脅かされるからだと思う。つまり環境への破壊も保護も人の都合を最優先に考慮してきたため、環境汚染の撲滅や環境緑化は環境問題の表側を解決する方法で、人々に持続可能な環境を作り、そして保つ心がけを持たせることこそ環境問題解決の根本なのだ。上記のどちらかに偏ったり、あるいは行政的に行き過ぎたりしたことは環境問題を解決したとは言えない。
大前提を明らかにした以上、具体的に環境問題をどう取り込むについての検討や実行はたいてい市民団体、企業、そして政府機関を含む三つの組織の間で行われている。しかし、いつもちょっといい具合に上手く行くとは限らない。それは三者とも自らの立場があって、それぞれだけで立ち向かって克服できない問題があるからである。


まずは市民団体から分析する。環境問題に関わる市民団体は環境保護意識の高い市民達によって結成されるため、なによりも自然環境や市民の住居環境を最優先に考慮する組織である。しかも環境保護意識を方法面々に普及するために、自発的に市民への環境教育を始めたり、環境緑化活動にボランティアを集めて組織的に活動させたり、新たな環境問題対策を練って企業に提出したりあるいは政府に新しい環境政策の実行を要請したり、その上企業などが環境基準を守る状況について監督したりする。社会にとっては大変重要な役割を持っている。しかし、本気で環境問題に取り込む気持ちがあっても、固定の資金源を持たないため、極めて小規模で活動を行うしかない。その結果、ある程度の効果を得るにはかなりの時間が必要となるのが欠点である。


次に、企業の場合では、ある程度の資金を調達できるし、優秀な人材を集めて本格的に環境問題に取り込める。経営戦略の角度から見ても、自らが信頼できる良心的な企業であることを直接にアピールし、ついでに製品の宣伝などを加えることで余裕を示して消費者に安心感を持たせ、イメージアップにつながる上にさらなる長期的な利益を狙うのは企業が環境保護活動に取り込む特徴である。そういうのが企業をもっと本気に環境問題の解決や環境教育の実施を推進する原動力にもなる。しかも実際に有益なことをやっているわけだから、こういう経営戦略を実行していることあるいはこういう考え方で環境問題に取り込んでも別に何も言われない上に、企業の発展や環境の保護を同時にできる一石二鳥の素晴らしい方法と褒められることもある。だけれども、取り込める環境問題や取り込む方法については、時々局限性を表すことがある。大抵三つに分けられる。一つ目は企業が自らの業務に関係する環境問題のみ取り込む時に起きる問題である。消費者の奪い合いや政府機構からの優遇を獲得するための同業者との競争に利用できるので、真剣に環境問題の解決に力を入れることを望めるが、問題の解決に必要とする企業間の連携を軽視する傾向がある。それで問題解決に必要以上の時間と労力が掛かってしまい、結局企業自身にダメージを与える。二つ目は企業が自らの業務とはまったく関係のない領域の環境問題に取り込む場合にある。そういう活動は直接に企業のイメージアップに繋がることを明らかに示したため、少しのミスでも消費者に悪い印象を残すかもしれない。一つ目の問題と同じく、まじめに環境問題への取り込みは疑いようがないが、自らに取り扱う業務に関係する環境問題の対策をもっと求められる時、それをはっきり示さなければ、不信感を買われる恐れがある。三つ目は企業である以上、自らの利益や存続を最優先とするため、企業にマイナスな影響を与える環境政策や活動に対しては、企業側の立場としてもやはり反対の主張を取るしかない。同情する声もあるだろうが、最終にイメージダウンになることは言うまでもない。


最後に、政府機関、特に国というレベルの組織は三者の中でもっとも大きな権力機構であるため、強い組織力で資金も人材も最大限に利用できる。しかも、権力機構として環境基準の設定や環境政策の実施を通じてもっとも迅速かつ効率的に環境問題を解決できる。しかし、現場の状況をすべて有りのまま最上級の政府機構まで報告することは、物理的に不可能と断言すらできる。その中に、個人の利益や地方政府の利益に国の利益も含むさまざまな利害関係を環境問題の解決から排除するわけにもいかない。政府機構としても、仕事をやりやすくするために、バランスよく各方面の配慮をしなければならない。単に環境問題に精を注ぐと、自らの立場が危うくなることも考えられる。その上、経済発展の促進や社会全体における現代化の進行を保つための工業発展に偏って、環境面への配慮を足りなかったり、環境保護施設の建設や環境保護設備の投入を後回ししたりするのも珍しいことではない。そういう結果を望む人は一人もいないと思うが、物事の流れによってそうなってしまうことも決して少なくはない。


では、どうやって三者とも妨害されることなく、無事に環境問題解決の最終ゴールにたどり着くのだろうか。方法はひとつしかない、つまりこれからやろうとすることを、初めから色んな角度でそれの必要性や各方面の利害関係などを分析すべきである。まずそのことの実施によって起きた各方面への影響を明らかにし、それで実施する方法や時期、あるいは必要性すらも理性的に決められる。例えば、市民団体が提出する環境問題の対策を実施しようとするときに、実行するときの効果や企業側への影響及び政府機関からの支援を先に考慮にいれるべきである。可能性1としては、実行しても、効果あるいは結果が出なければ、実行する意味を失う上に、不信感を買うことで今後の活動をやりにくくする可能性を生じれば、実行しないほうがいいという選択肢もある。可能性2としては、様々の実験によって、実行したら必ずいい結果が出る場合としても、それに関連する企業の都合を考慮すべきである。もし直接にある業界あるいは企業にマイナスの影響を与えたら、それらの反発を招くことは間違いない。圧力に屈さずにやり遂げればいいのですが、一旦それに屈したら、当初のいいアイディアも無用なものと誤解されかねない。そういうときには、やり方(例えばそれとまったく関係のないことに集中して、ついでにこういう問題も出てきたことを沢山の人々に気づかせる方法を使う。)を変えたり、進み具合(例えば集中的に一回でやるのではなく、何段階を分けてやること。)を緩めたりすると、案外注目されずにうまくいくかもしれない。さらに、政府機関の支持なしで活動を行うには成功する確率が極めて小さいため、それに関係する政府機関に活動の有益性や必要性を出来るだけアピールし、自らの誠意を見せれば、声援だけでも大きな助けになるだろう。
環境問題はもちろん、世の中のことをすべて人力でなんとかするのが不可能だけれども、出来るだけのことをすれば、それなりの報いは来るだろう。そして、その出来事から得た経験でまた先に進められるのが人間であると思う。

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